木を扱っています。といっても漠然と、,,,

自分の写真
nagoya, aichi, Japan
1956年、名古屋産、工学系、我関せず、刳るものは拒まず去る者は追わず、淡々、

2013年8月28日水曜日

放射性同位元素による年代測定と~

今日は、ほぼ年4回の先生たちとの会食会。今日の話題は、放射能。

木材と放射能汚染の話。吸い上げた放射性物質は、形成層に付着し、年輪にたまる。木の随~芯に広がることは無い。でなければ同位元素による年代測定が成り立たない。木材物理の名誉教授の話。

放射性同位元素を測定し、年代測定をすると、たとえば、アメリカ、ソ連の核実験の年は、年輪からはっきりと放射能が検出されてそれがわかる。さらに、ヨーロッパでの広域の測定では、年輪から検出されるものが地域ごとの時差を伴って計測される。これは大気の流れを反映してて、東西方向は時差が短く、南北方向は時間差が大きい。赤道を越えるのに2年かかるという結果。大気の流れが、木材の年代測定、放射能を測定することでわかってくる。おもしろいのは、今後も古木を伐れば、いつでも地球の大気の歴史を再現できるということだ。

さらにそこから、福島の汚染された木は使えないのか、というと、製材して数年分より奥は汚染されていないまま使うことができるはずだと。もしも、芯からも放射能が検出されるようなら、それは昔から長い時間、放射能汚染が続いていた、という説明になるという。

別のエピソード。アジアから採取した木で年代測定をしていたら、通常検出されるべきその時代のデータが出てこない。そんなはずはない!とあれこれ調べたら、ある時期の数年間の年輪が跳んでいる。さらに調べたら、戦争で散布された”枯れ葉剤” で年輪が異常に萎縮、数年分の年輪が狭い間に詰まっていたそうだ。人の営みも、何百年にわたって、自然の中にしっかりと記録されている。

さらに余談で、年輪よりもさらに、花粉や種子は遙かの時代を超えて、時の痕跡を記憶するという。何万年の時を経て、現代はどう評価されるのだろうか。

2013年8月14日水曜日

熊谷守一を訪ねて

平成25年8月12日 岐阜県付知町の画家、熊谷守一の生家を訪ねた。熊谷守一の甥、十代目、屋号藤山 、熊谷和彦氏がサラリーマンを退職し、故郷である付知町へ戻り、”熊谷守一 講”なるものを立ち上げて、熊谷守一のふるさと、付知町を全国へ紹介したいと言われた。と付知の友人が知らせてくれた。私たちはその2回目の客となった。

IMG_2126

屋号藤山、というのは、そこの地名らしい。熊谷守一の実家は、藤山製材所、と言う大きな木材商でした。付知は加子母と隣同士、御嶽山の麓、最上級の木曽ヒノキ材を御用林から切り出す大集散地だ。

守一は7代目、熊谷孫六郎(初代岐阜市市長)の三男。今回案内頂いた和彦氏は直系の10代目となる。熊谷守一は、97才、昭和52年に無くなっているので、10年ほど成人した和彦氏と交流があったという。

集合場所は岐阜県中津川市付知町、熊谷守一の生家。当時とはいろいろ変わっていると説明され、まずはそこから見える”雨乞い棚山”を案内頂いた。守一が描いた故郷の風景である。

 IMG_2140ccIMG_2140ct

守一の生家に入れて頂き、中を案内頂く。守一が育った家である。

IMG_2121

IMG_2125 

IMG_2138  

円いフナ底天井の部屋は、2階にあり、守一が何年か過ごした部屋だという。建築的には、船底天井と言われる天井の中でも、珍しいおもしろい作りである。私は、この形は初めて見た。

IMG_2133IMG_2130

豊富な資料を開いて頂いて、守一の作品を見ながらお話を頂く。作風や人柄、和彦氏が実際に交わされた守一のことも、叔父と甥のお話も心地よい物でした。下は、守一氏からの年賀状だそうです。

IMG_2139  

熊谷和彦氏は、これから付知町で、画家、熊谷守一を通して地域興しを進めていきたいと言われた。美術ファン、付知ファンの多くの方々に紹介頂きたい、とこと付かってきました。数人そろえば案内頂けると言うことです。ご予約をしてください。

”熊谷 守一講” についての連絡先を記しておきます。

屋号 「藤山」 十代目 熊谷和彦

Tel 090-4846-3699

2013年8月7日水曜日

エスウッド 国産材パネル生産

http://bit.ly/156Chgd

岐阜県各務原市にある、国産材ウエハーボードメーカーを訪ねた。ここはもう、15年以上前からこの事業を続けている。故あってずっと注目してきたが訪ねる縁がなかったけれど、やっと実現した。すばらしい事業である。ここには25年前に私が関わって失敗した事業のいくつかの成果が、設備として日の目を見ていた。思うところひとしおである。

製品の一つである”い草ボード”。畳が使われなくなった現在にその姿をとどめたいと合板を作っている。さすがにこれだけでは強度が望めず、別の材で裏打ちしている。主製品は、ヒノキとスギのウエハーボードである。

IMG_1997 IMG_1996

ウエハーとは薄く平たい切片のこと。菓子のウエハースのことである。ポテトチップスのような形だ。これに接着剤をまぶして板に成形する。それぞれの行程に非凡な技術とノウハウがある。設備はどれも開発品。接着剤も独自の物である。

IMG_2037 IMG_2039

フレーカーミル。切片を作る機械。円盤上に並んだ刃物に、丸太の円周を押しつけて繊維の長い切片を得る。

丸太は、径級をそろえて皮むきする。長さを揃えてカット、機械へ投入。切片が得られる。

IMG_1987  IMG_1985IMG_1986

フレークを乾燥し、接着剤を噴霧する。設備は全て飯田工業製で、接着剤もそこが開発したものである。接着後プレスまで長い瑕疵時間があり、例えば数日後にプレスをしても充分な接着が得られるという。

つぎに板状に重ねるフォーミング。ボードは3層構造になっている。この技術はウエハーボード、OSB、パーティクルボードの生産で行われている形で、完成型だけど、機械としてこれだけコンパクトにまとめられた設備はたぶん他にない。他はどれもばかでかいのである。ここにはノウハウがたくさん詰まっていて、現場で見ていて一番おもしろい過程である。また、とても日本らしい姿でもある。

IMG_1995 IMG_1968

積まれたウエハーは、テフロンの離型紙に挟まれている。これから熱プレスで接着剤を硬化させる。そのときに熱盤にひっつかないように離型紙をはさむ。離型紙は網目状であり、よく知られたノウハウがある。180度前後で硬化させる。時間は聞いていない。下の写真は多段プレスの前の送り込み台である。

IMG_1969 IMG_1970

下写真、こちらは出口側。当然、熱い。

IMG_1983 

  できたばかりのボード。養生させたあと、周囲をカットして、表面を仕上げて製品となる。

 IMG_1981

国産材で合板は様々なチャレンジがなされているが、壁は生産量に伴うコストである。国内の大規模工場でさえ、海外のそれに適わない。

しかしこれは、国産材のストランドボードという希有な製品である。しかも設備はとんでもなく小型で安価だ。国産材利用を迫られている状況で、何とか活用しまた、その先へ伸ばしたい技術である。