木を扱っています。といっても漠然と、,,,

自分の写真
nagoya, aichi, Japan
1956年、名古屋産、工学系、我関せず、刳るものは拒まず去る者は追わず、淡々、

2011年3月29日火曜日

東北大震災へ行く~3

被害と人々

仙台市、若林区、名取市、宮城野区へ行った。津波のあったところを無いところの差は大きく、その境界がはっきりと判る。店は全て閉まっていて、何も買えない。電気と水がなく、支援物資受入と炊き出しで忙しい。何と言っても明かりが無く、夜がとても寒く永い。

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仙台から石巻、石巻港は工業地帯だが壊滅状態。石巻市役所は海岸からやや離れていたが、道路には魚も横たわっていて、潮の香りが鼻を突く。市役所は避難所になっていた。石巻は石森章太郎の生地。駅前には漫画作品のオブジェがある。いずれゆっくりと訪れたいものだ。

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女川町では、消防隊員に助けられた犬が居た。足を引きずっていたが元気に鳴いていた。この辺りではチリ地震,津波の教訓で、小中学校は高台に建てられている。水面から20mの高さという。しかし入り江になった女川町では、その20m直前まで津波が登ったという。入り江になっているところは、津波が渦を巻いて山へ登り掛かったと言っていた。

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志津川町から南三陸町へ。ここも壊滅状態。

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非常時にトイレはとても大切と感じた。南三陸町では、ちょうど長野からのボランティアが屋外トイレを作っていた。穴を深く掘り、そこから溝を堀り便器を据えていた。そこを建家で覆う。これは覚えておかないといけない。

それと暖を取るのは薪。寒い時期なので薪集めは大切な作業だ。元気なのはボランティアだけ。地元の人を励ます方法がない。

2011年3月27日日曜日

東北大震災へ行く~2

物資などのこと

災害時には3日を我慢する、4日目から物資が届く、1週間で満杯。物資をさばかないと溢れる。物資は、出入りの調整は出来ないので、待ったなしだし、最も必要な時期はいつも今なのだ。

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公平性だとか、平等、に捕らわ れると、物資をさばけない。法律や規則は、考えないために作られている。ものをコンベア的に流すための制度だ。非常時には法律や規則は妨げになる、基盤がないのだから。それに、係担当、指令系統だって、公平に選ばれた分けじゃない。

基準は良心、に頼るしかない。一人一人が考えないと、規則通りに進めていくとどこかで行き止まる。相互信頼で事を進めていかないと、末端に行き届かない。欲しい人にはあげる。その人はきっと隣の人にあげるだろう。

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非常用物資もたくさん放出された様だ。海外からのものも。中国から寝袋と毛布~軍隊用の様だ~がたくさん来てた。中から便利そうなものをピックアップ。

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3日分の非常食料セット。 27食分、10年間常温保存可。イメージ写真が良すぎる、、、。気分も大切だし。

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水の要らないシャンプー

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トイレ。一番最初はトイレだ。穴を掘る、深く掘る。次々と掘る。

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飲み水。備蓄用が大量にあるらしい。

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手回しライト、ラジオ。ラジオはやはり必需品だ。

2011年3月24日木曜日

東北大震災へ行く~1

1:私の暮らし

14日早朝に出て夜仙台へ着く。中央道、関越、北関東道、東北自動車道と走る。災害ボランティアのベテランに着いていった。仙台では紹介のあった仙台東別院に東別院系列のボランティアセンターがあって、そこへ泊まった。水道はあったが、ガス、電気が無く、寝袋にくるまって幼稚園の2階、板の間で寝る。服を着たまま、ジャンパーを着たまま寝袋へ入る。朝方寒くて震えが来る。外は雪。風呂無し、着替え無し、石けん無しの始まりである。店はどこも開いてない。食料は買えない、水は買えない、燃料は買えない。自販機にはコールド飲料が残ってる。1万円札が使えないのが悔しい。

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15日、持って行った500リットルタンクに水を汲み、できたての仙台のボランティアセンターへ行く。仙台の東別院で水を汲んで、名取市の小学校へ水500リットルと支援物資を運ぶ。仙台港へ行って惨状を見る。仙台の東別院で寝る。

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16日、水をどこへ持っていったらいいかを尋ねる。名取市の病院で透析用の水が無くて困っているというので、運ぶ。名取市の小学校へ行き、暖房用の薪をせっせと伐る。仙台の東別院へ帰って寝る。

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17日、その実績を持って県警へ行き、災害救援のお墨付き書面をもらう。これで高速道に自由に乗れて、災害車両用燃料が頂ける。県庁のコンビニで一人3点限定の買い物が出来る。せんべい2袋を買う。夫婦とすれ違う。”こんな時にたばこを買うなんてなんて人なの!”とケンカしてた。石巻から女川へ向かう。石巻は石森章太郎の故郷だ。女川の病院へ水を届けるが、その奥の中学校へ持って行ってと言われる。女川は20mを越す高さの津波にあってさながら焼け野原のよう。夕方仙台へ戻る。ボランティアセンターの講堂の床で寝る。

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18日、女川へいく。体育館の隅で床に寝袋、毛布で寝る。毎晩2-3回地震が揺する。寒い訳だ、雪が積もった。

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19日朝、女川町へ行く。チェンソーでひたすら残材を切る。薪作りだ。黙々と作業する。

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20日、女川町。午前はチェンソーで薪作り。それから看板作り。午後、南三陸町へ行く。自衛隊、報道、救急隊で賑やかなこと。支援物資が民間、業者、自衛隊と次々と届く。

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21日、南三陸町で、支援物資の荷下ろし、積み込みを手伝う。ひたすら荷役作業をする。体育館の隅で寝る。

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22日、南三陸町で、支援物資 の荷下ろし、積み込みを手伝う。ひたすら荷役作業をする。体育館の隅で寝る。

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23日、南三陸町。午前は医療部の目隠し衝立作り。帰路へ着く。~午後から登米市に送ってもらう。バスで仙台へ向かう。

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登米市にも何もない。コンビニは開いてたが、水、食料、電池がない。携帯充電用電池を探す。

24日、朝9時のバスで東京へ。仙台は普通に見えるが、コンビニは開いてない。東北道は渋滞もなく7時間で東京駅へ。群馬のパーキングでは、何でも売っていた。ここはもういつもの生活。時空を渡った感じがする。